間違いだらけの備忘録

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狂った世界で、狂ったように見える者こそまともだ。

狂った世界でまともに振る舞っている奴こそ狂っている
(略)
これは「主人公の帆高と社会全体が対立する話」だと新海監督は名言している。『君の名は。』の時は、偶然社会を救うことが好きな女の子を救うことにつながっていた。だが、今度は違う。好きな女の子を救うことは街を壊すこととイコールである。そして、主人公は躊躇なく、少女を救う道を選ぶ。

その決断は狂っているように感じられるだろう。しかし、筆者はこう思う。
「狂った世界で狂ったように見えるとすれば、それこそがまともだ」と。

素敵~

「映画は(あるいは広くエンターテインメントは)は正しかったり模範的だったりする必要はなく、むしろ教科書では語られないことを――例えば人に知られたら眉を潜められてしまうような密やかな願いを――語るべきだと、僕は、今さらにあらためて思った」(P295)
しかしながら、現実に映画は(あるいは広くエンターテインメントは)いつの頃からか、社会の規範のようなものを意識せねばならなくなった。「ポリコレ」という単語に象徴される規範意識
(略)
世界が狂っているなら、壊してしまえ。ニヒリズムやペシミズムに陥りそうなこの破壊衝動を、新海誠監督は世界の狂気に呑み込まれずに生きろというメッセージに転化している。

正論

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