http://www.gcd.org/blog/2011/10/853/
ちょっと古いネタだが、めも、引用順は適当
「分かる」というのは「自転車に乗れるようになる」ことに似ていると思います。「分かってない人」が無自覚であると同様、自転車を見たことがない人にとっては、自分が自転車に乗れないと気に病むことはないでしょう。そして最初の「分かろう」/「乗ろう」というチャレンジは確実に失敗します。
妥当
どうすれば「分かるか」/「乗れるか」皆目見当がつかない一方で、いったん「分かる」/「乗れる」と、どうやってそれができるようになったのか思い出せなくなってしまいます。
良くあるケース
「知らない」ことは調べれば済む話で、考えてどうこうできる問題ではありません。つまり「自分には知らないことがある」と自覚したところでそれは考えるきっかけにはなり得ません。
正論
自力で自分の「分かってなさ」を自覚することは無理で、他者に指摘してもらって初めて気付かされる、という場合がほとんどなのではないかと思います。 じゃ、どうすれば他者に指摘してもらえるか? 黙っていては無理で、自分から自身の考えを発信してみることが重要なのではないでしょうか?
反応は内容に依存
どっちつかずな人の末路
若いうちは技術をやれ、と言われてデスマーチでこき使われる。
辛いけど自分は技術が好きなんだ、と現場にこだわり続ける。そして、35歳でエンジニア定年。泣く泣く現場を離れてマネジメントの道を歩み始めるが、
自ら進んでマネージャを目指した同期に追い付くのは不可能。
素敵〜
ただし技術の道を選んだとしても、「ずば抜けた技術力」が身につけられるのは、元々その素質を持っていた人に限られます。どの分野の技術でも向き不向きはあると思いますが、ことコンピュータ関連の技術に関してはその傾向が顕著で、努力すれば身につくような種類のものだとは到底言えないでしょう。むしろ、努力しなくても自然とスキルが伸びてしまったというような、元々その素質を持っている人だけが、高い技術力を獲得できる傾向があるように思われます。
正論