間違いだらけの備忘録

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信仰と臨在感は違う

https://twitter.com/tarareba722/status/1604679115809755136

伊集院光さんがラジオで「信仰」というと構えて考えてしまうけど、たとえば多くの日本人は何かを踏み潰すときにそれがおにぎりだと分かるとすごく躊躇するだろう、信仰ってそういう(好悪や心象に根付いた)ものだと思う

https://twitter.com/5lcvqHv5pEZEE3f/status/1604686352230252544

これは信仰というよりも臨在感というやつだと思いますね

なるほど
なぜ日本人は神社に行くと良いことが起きると感じてしまうのか? | 「超」入門 空気の研究 | ダイヤモンド・オンライン

臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう
(略)
日本人が臨在感を定義せず、探究もしなかった結果、臨在感を意図的に操作されると、先の政治議論のように「正しいはずのものを」簡単に悪だと誘導されてしまいます。

 ほぼ関係ない一部の情報を拡散させることで、「○○がひどければ他でも信頼できな
い」という、間違った因果関係の推察を誘導されてしまうからです。

 臨在感を誘発させることが巧みな者のウソに、今も日本人は簡単に騙されています。日本人は、数多くの歴史を学び、臨在感の呪縛を打破する視点を身に付けるべきときを迎えているのです。

めも
https://twitter.com/_SOKURO/status/1605226200804167680

富野由悠季監督も信仰の始まりは戒律(やってはいけないこと、忌避すべきこと)から始まってるとGレコのインタビューか何かで言ってましたね

神は海の魚、空の鳥、家畜、地をはうすべてのものを迷信深く造り給えり。
https://gunshot.hatenablog.com/entry/20080505/p1

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