https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00562/112700022/?P=5
当時は反知性主義を「知識人に対する不信感」として解説する向きが多かったと記憶している。
が、私考えるに――そうです、ここからは私の独自研究です――もっと奥底には、超絶主義哲学があり、さらにその基層には「マッチョでないと開拓できなくて死んでしまう」という北米大陸開拓の歴史と、「大変厳しく、人間を拒む自然環境」という認識があるのではなかろうか。
(略)
「砂糖を減らしたオーガニックなマフィン」の裏側に「人間にやさしい自然」という自然への理解があったように、議事堂に乱入したバッファロー男の裏側には「人間を拒む厳しい自然」という自然への理解があったわけだ。そして、こちらもまた間違っているのである。
素敵~
では、人間にとって自然とは何か。
「人は自然に翻弄されるが、自然は人のことなんか知ったことではなく、自らの摂理に従うのみ」ということであろう。それがたまにやさしく見えたり、厳しく見えたりしているだけなのだろう。そう見えているだけで、実態は常に「自然は人のことなど知ったこっちゃない」だ。
正論