OD問題に憶う ---土方克法
未就職博士 (OD) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした.
昨年秋の札幌の学会で,当地の若い人達がOD問題のビラを配っていたが,内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった.
筆者の大学では,1967年物理系の学科ができたが,教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい,もう空き定員はない.
その後いろいろな方面から就職の照会があるが,ない袖は振れず,如何ともし難い.
このようにして,われわれも事の重大さを数年来感じてきたが,何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう.
素粒子関係では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く.
この人達は本職ならざるアルバイトをしたり,周囲の庇護のもとに生活しているのであろう.
現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない.
しかし,たいていの人はODとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない.
いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ,新聞種にもなるのだ.筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて,小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく.
愚妻もその1人であって,大学の非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる.
このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう.
大学で勉学をするのは当然なことだが,最も熱心に勉学を続けた人のなれの果てがODではないか.
筆者は時々愚妻に”子供をルンペンに仕立て上げるつもりか”と言う.
しかし,大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで,あまり効果がない.
(中略)
なぜOD問題が生じたのか.
講座増を希望したのはわれわれである.
教官定員が増え,万年助手が昇格し,研究室が活気を帯びたのも束の間,学生は年々入ってくる.
これらの学生は産業界には出てゆかない.
そこで再び教官定員増を要求する.
しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから,この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか.
すなわち,非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある.
(略)
岩波講座 現代物理学の基礎,量子力学II('72年)付属の月報より