http://reki.hatenablog.com/entries/2015/09/18
1314年 モルガルデン狭間の戦い。ハプスブルグ騎士団が農民歩兵に惨敗
(略)
(ハプスブルグ家)アルブレヒト、チューリヒを包囲するも、同盟都市軍に敗れる
(略)
1379年 ネーフェルスの戦い (ハプスブルグ家)レオポルト3世を含む多数の騎士が討ち死に
(略)
スイスに派遣されたブルゴーニュ軍は盟約者団軍の前に惨敗。ナンシーの戦いでシャルル突進公は討ち死に
素敵〜
http://reki.hatenablog.com/entries/2015/09/21
スイスは都市の連合体で、各都市ごとに宗派や政治制度が異なるため、1つの国家としてまとまり続けるためには、外国となるべく戦争をしてはなりませんでした。なぜならどこかの都市と有力国が結びついてしまうと、櫛の歯が抜けるように連邦が崩壊してしまう危険性が大きかったからです。だから中立という道を取らざるを得なかった。
ほー