間違いだらけの備忘録

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イスラム教のジハード

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP622115

小学校、中学校、高等学校そして後になると大学でも、宗教と歴史の教科で我々は選民であり、至高且つ栄光の民であるとか、我々の宗教が真の宗教であり、(地獄の業火から)救われる正しい民は我々であるとか、ほかの民は偽りの民で地獄に落ち業火に焼かれる不信心の民であり、その民の殺害は許され、その民の財産と妻を我々がとっても構わないなどと教えている。学校の教室では、コーランの章句や預言者ハディース(伝承)から引用して、行為の正当化が行われる。歴史の文脈からずれた引用であるのに、コーランハディースを持ちだしてくるので、我々は、判定が絶対的であり、審判の日まで、いついかなる時でもそれを適用しなければならないという印象をうけてしまう。

へー

http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/maudufr.htm
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/moudu034.htm
第五章 尊崇と礼拝 6、イスラームの防衛とジハード(聖戦)

ジハードは個人の能力の最大限の努力を意味する。自己を肉体的に精神的に、神の道に傾注しそのため物質的支出も顧みないことはジハードに専念している姿である。然しシャリーアの言説に依れば特にイスラームの敵として侵略を犯すものに対し『神の御名の下に行われる総ての戦い』として用いられる。此れは最大の犠牲(生命を失うこと)としてイスラーム信者に宣伝されている。然しもし集団の一部のムスリムがジハード参加を申出た場合は全集団の参加は免除される。然し誰も参加するものがない場合は全員有罪である。此の条件はどのイスラーム国家でも非教徒の勢力から攻撃を受けた場合には通用しない。此の場合は誰でもすべてジハードの為立たぬばならぬ。攻撃された国が反撃し返す充分なカがない時は近隣イスラーム国はこれを助ける宗教的義務がある。若しそれでも失敗すれば全世界のムスリムは此の共同の敵に対して立ち上らねばならない。これらのケースに於いてはジハードは日常の礼拝や斎戒と同様にムスリムの基本的な義務となる。これを避けるものは罪である。そしてその人のムスリムとしての存在それ自体が疑問視される。

ほー
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/271209.htm

日本はイスラム教の知識が少ないので、怖さを知らないでインドネシアから大量の介護士を入国させている。しかし、今のところは職があり、テロをする可能性は少ないが、将来はわからない。次世代の子供が日本に馴染まないと、イスラム教の過激思想に染まる可能性が高い。

昔、イラン人を大量に日本に来たが、テロの可能性は少なかった。それはイランは、イスラム教でもシーア派であり、過激思想をイランが教育で禁止的にしているためである。

一番の問題が、イスラムスンニ派のピュアなワハーフ主義の思想である。この思想を広めているのが、サウジアラビアであり、サウジが過激派の資金源になっている理由である。

めも、未検証

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